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広島高等裁判所 昭和37年(ナ)1号 判決

原告 秋田三来夫 外六名

被告 広島県選挙管理委員会

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は、「昭和三六年九月二〇日執行の広島県高田郡高宮町町議会議員一般選挙につき、当選の効力に関する原告らの訴願を棄却した被告の裁決はこれを取り消す、訴訟費用は被告の負担とす」との判決を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。

一、昭和三六年九月二〇日広島県高田郡高宮町町議会議員の一般選挙が執行され、開票の結果は候補者上田徳義と新保寿恵との得票数が同じであつたため、くじで上田が当選人と決定したところ、選挙人小田猛は同町選挙管理委員会に右当選の効力に関する異議の申立をした結果、同委員会は同年一〇月二〇日右上田の当選を無効とする旨の決定をしたので、選挙人である原告らは同年一一月九日被告に訴願を提起したに対し、被告は翌三七年三月三一日訴願棄却の裁決をなし、四月六日にその告示をした。

二、右裁決の理由の要旨は、選挙会において無効と決定した「新本」と記載した投票は

1  本件選挙の候補者中には「新本」というものはなく、これに類似の候補者には「新」のつくものに、新保寿恵があり、「本」のつくものに西本謙六、平本春人の両名があるほか類似の候補者のないこと

2  新保候補は通常「しんぽ」と呼称されているが、たまには発音関係で「しんぽん」と聞えることもあること

3  新保候補の得票中に「新ポウトシエ」、「シンホウ」、「しんぽをとしえ」と記載された投票が各一票あつたこと

4  新保候補の家の紋章は、円の中に「本」と表示されており、この紋章は紋付羽織や提灯に表示されているほか、居宅の土蔵の白壁に黒色で直径約五〇センチメートルの大きさに書かれていて、高宮町役場から船佐郵便局に通ずる道路上からよく見えること

5  西本および平本両候補は「新」を冠して呼称されたり、「にいもと」または「あらもと」と呼称されることはないこと

等の事実から、新保候補の有効投票と認められる、というのである。

三、しかし、右裁決は次の理由で違法であるから、これが取消を求める。

1  「新本」を「しんぽん」と音読できる点を重視しているけれども、それは「にいもと」または「あらもと」とも読めるし、そう読む方がより一般的である。そうすれば「にいもと」は「にしもと」に通じ西本候補の投票とも解されるから、「新本」票は必ずしも「しんぽん」と読むものとは決し難い。

2  本件選挙の候補者中には、裁決も認める如く新保、西本、平本の三名がいることとて、選挙人はそのうちの誰かに投票するつもりで平常さを失つて、氏のうちの一字を間違えたか、または紛議を起こさせるために悪ふざけに故意に混記したものとも解されるのである。殊に本件「新本」票は楷書でていねいに書かれているので、後者の疑がないとはいわれない。

3  投票の記載に地方色が現われることはその例が少くないけれども、もしそうとすれば、他にも「新本」票が出るであろうし、開票立会人もこれを有効票とする意見を述べたであろうと思われるが、開票立会人のほとんど大部分のものは、最初からこれをいずれの候補者に投票したか確認し難いものとして無効としていたのである。家紋はその家の近辺の人が知つているだけで、そのような人が部落の有力者である新保候補の氏を家紋を見て誤つたというが如きは全く理由がない。新保候補の屋号は「しんや」といい、同人を「しんぽん」と呼ぶものはないのである。激戦の選挙では、文字の立派に書ける人が、あて字を書くというようなことは考えられず、特に本件の如き町議会議員選挙では、候補者と同部落の選挙人の大部分がその候補者に投票するのであるから、なおさらである。

(証拠省略)

被告代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、原告主張の一、二の事実を認める。

二、「新本」票を新保候補の有効票とすべきでないとの原告の主張はこれを否認する。すなわち、

1  「新」は普通「しん」と読み「にい」とは読まない。高宮町の選挙人中「新宅」、「新川」、「新増」、「新中」、「新出」、「新屋」、「新堂」、「新上」、「新庄」など、いずれもその第一字を「しん」と読むものはいるが、「新本」(にいもと)と読むものはなく、本件選挙の候補者中「新」の字のつくものは新保候補のほかにはないことからみても、これを原告主張のように「にいもと」と読ませるつもりで投票したものとは考えられない。

2  氏が二字の場合、親近感をもつてその頭字に「さん」をつけて呼称することがあるし、ローマ字で記載する場合、頭文字を書いて他を省略することを考えると、投票の帰属を判定するにあたり、氏の頭字を軽視しえないのであつて、「新本」票を頭字の「新」と末尾の「本」とを同一の価値あるものとし、混記投票として無効とすることは常識的でない。

3  「新本」票は、その字体からして女性の筆蹟とみられるが、そうすると他町村から婚姻により高宮町に入居したものと考えられるし、そうでないとしても、他町村から転住したものは、氏としては稀な「新保」の「保」の字を記載するにあたつて、これを知らず、語音に近似性のある「本」をあて字として記載したか、または同候補の土蔵白壁の家紋を想起して「本」と記載したものである。さらには新保候補の氏をよく知らないものが「しんぽう」または「しんぽん」と記憶していて誤記したものと解すべきである。選挙会では「新本」票を直ちに無効としたのではなく一応疑問票としたが、結果においては「新本」という候補者がいないという単純な理由で無効としたにすぎない。

(証拠省略)

理由

昭和三六年九月二〇日施行された広島県高田郡高宮町町議会議員一般選挙につき、原告主張の経過で被告が昭和三七年三月三一日選挙人である原告らの訴願を、原告主張の理由により棄却するとの裁決をなし、その旨の告示をしたことは当事者間に争がない。

本件の争点は「新本」と記載した投票の効力いかんにあるのでこの点について審究する。

候補者の二字の氏のうち、その一字づつを混記した投票は、そのことだけでいずれの候補者を記載したかを確認し難いものとして、すべて無効とすべきでなく、いずれかの候補者の氏にもつとも近い記載であつて、その候補者に投票したものと推測されるものは、これをその候補者に対する投票と認め、合致しない記載は、これを誤つた記憶によるものか、または単なる誤記になるものと解して有効とすべきである。選挙人は、特別の事情のない限り、候補者のだれかに投票する意思で投票したものと認めるのを相当とするからである。そして右近似性は、氏の語感、字形その他諸般の事情を考量して判断すべきところ、本件選挙の候補者中「新」の字のつくものは、新保寿恵ただ一人、「本」の字のつくものは西本謙六、平本春人の両名であることは、当事者間に争のない事実であるから、右「新本」票も、この三名のいずれに最も似ているかどうかを検討すべきである。

「新本」は、これを「しんぽん」と読めば、その発音全体の語感からして、新保(しんぽ)に最も近いのである。最終音の「ぽ」が、「ぽ」の子音だけに止まらないで、「ぽお」と長音化して記憶されていることは、検乙第一号証の一、二、三により明らかな如く、「新ポウ」、「シンホウ」、「しんぽを」と記載した票のあることからも、これを認めるに難くなく、「ぽ」の字が右の如く長音化するかわりに、次に「ん」がついているように聞えることは、「ぽ」の音質と、「ん」の音が語尾にあるときは、「ん」とはつきり聞こえないことが多いので、「ぽ」を文字に表わすときは、「ん」がついているものと誤解されることも考えられるのである。「新保」は稀らしい氏であつて、その居町には他に同氏のものがないことは、証人西皎の証言により明らかであるから、平素「しんぽ」と聞いていても、これを文字に表わすときは、「ん」があるのではないかと誤解するものもあることは、前説示により推察に難くないのみならず、成立に争のない甲第八、一三、一七、一九、二二号証、乙第四号証、検乙第二号証の二ないし四、証人渡辺肇の証言によれば、新保候補方の土蔵の白壁に黒色で〈本〉と書かれているのが道路からよく見えることが認められるので、これらの事情を勘案すれば、「新本」票は「しんぽん」と読んで新保候補の有効投票と認定するのが相当である。

(1)  「新本」は、「にいもと」または「あらもと」と読むのが普通であるとの原告の主張は、この二字だけをとりあげてみれば一応もつともであるけれども、前記の如く三名の候補者のうちのいずれに最も近似性があるかを考えるときは、これを「にいもと」または「あらもと」と読んでも、発音の全体からみて、「西本」または「平本」の語感に乏しく、それよりも「しんぽん」と読んで「新保」に近いとみるのが自然であつて、前記認定の如き諸般の事情からすれば、なおさらのことで、原告の右主張は採用できない。

(2)  原告は、「新本」票は楷書でていねいに書かれているから、故ら紛議をおこさせるために悪ふざけに書いた疑があるというけれども、検甲第一号証によつてもこれを認め難く、他に右事実を認めるに足る証拠はない。

(3)  また、原告は殆んどの開票立会人が、これをいずれの候補者に投票したか確認し難いものとして、無効と判断した点からみても、「新本」票を新保候補の有効票と認めることはできない、と主張するけれども、通常候補者の氏を混記した場合、いずれの候補者に投票したか確認し難いものとして無効とする事例もあることとて、開票立会人がそのように解したとしても怪しむに足りないが、これをもつて如上認定を左右することはできない。新保候補が居村(旧船佐村)佐々部小学校の教師を勤め、退職後は同村収入役に二期在職し、その後は村議会議員次いで高宮町議会議員に当選したことは、成立に争のない甲第八号証、乙第四号証、証人中川静一の証言により明らかであるから、居村では知名の士であることは推察するに難くなく、また原告主張の如く本件選挙においては、候補者の居住部落のものが殆んどその候補者に投票する事例が多く、また新保候補を「しんぽん」と呼ぶものがないからといつて、選挙人の中には他から転住した者がないとは限らないので、前記のようにこれを聞き違えることもないとはいえないし、また誤記することもありうることなので、これらの事情は未だもつて如上認定に影響を及ぼさない。

以上の理由により、「新本」票を有効とし、上田徳美の当選を無効として、本件訴願を棄却した裁決は相当であつて、これが取消を求める原告らの本訴請求は理由がなく棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅芳郎 林歓一 熊佐義里)

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